日本に名立たる紅葉の名所としてその名も高い香嵐渓。
その中心に位置する古刹 「香積寺」
開基は関白二条良基 足助重範の娘・滝野と、孫である成瀬三吉丸基久・基直など。
滅亡した足助氏の菩提を弔う為に飯盛山の足助氏の別館(飯盛山城)跡に建立された。
応永34年(1427年)白峰祥瑞禅師により開山。
寺号は維摩経香積仏国品から名づけられる。
その御本尊は聖観世音菩薩。
境内には江戸時代後期に建てられた座禅堂が現存し、本堂の脇には開山当時から寺の鎮守として豊栄稲荷が奉られている。
飯盛山中には歴代住職の墓や十六羅漢の石仏のほか、足助城主だった鈴木氏五代の墓も現存し、二条良基の師を伝え聞いた滝野が良基の残した装束を埋めたと伝わる装束塚があるほか、山頂近くには平安時代の末法思想に基づき。仏教の経典や仏具などを土中に埋めた「経塚」がある
真夏の頃に訪れた「香積寺」
紅葉の頃には、その色を真紅に初めるかえでの葉もまだ青々と茂り、緑色の濃い影を落としています。
香嵐渓がもみじで有名になるきっかけを作ったのがこの寺の11世住職、三栄和尚です。
香嵐渓のもみじは、三栄和尚が江戸時代に植えたのが始まりと言われていて、この地の美しい自然をより美しくとの願いを込めて、巴川沿いの参道から香積寺へかけて、かえでや杉の木などを「般若心経」を1巻詠むごとに、1本1本自らの手で植えて行ったそうです。
その後、大正から昭和の初めに住民の手によって植え足されて行き、今日の様なすばらしい香嵐渓の景観ができました。
ところで、香嵐渓と言うの名の由来をご存じでしたか?
昭和5年(1930年)に、当時の住職と町長が大阪の毎日新聞社社長の来町の際に命名を求め、「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。山気とは、すなわち嵐気也」と言う事で“香嵐渓”という名が付いたのだそうですよ。
その頃の 青楓も この様な様相だったのでしょうかね。
この香嵐渓の山々が赤く色づく頃には、この紅葉で名立たる古刹にもたくさんの人が訪れます。
でも、境内がひっそりと静まり返ったこの季節の、「かえで」と「杉」と見事な「苔」がいくつもの緑を織りなす景色も、また魅力的でしたよ。
この写真を撮った「盛夏」の頃を過ぎて、今は「残暑」
このうだる様な暑さも、もうひと山と言う頃でしょうか。
朝夕に秋の涼しい風を迎える頃には、この目に痛い程の緑も、少しくすんだ様相を帯びてきます。
それから順に秋の彩りに変わると解ってはいても
それがなんだか勿体なくて、行きかけの夏に「まだもうちょっと行かないで」と思ってしまうのはわがままだったりするのでしょうか。
この 青楓を透かした 山からの乱気を味わいに、ぜひ訪ねてみて下さいね。
飯盛山 香積寺
住所:豊田市足助町飯盛39
連絡先::0565-62-0267









このページの最上部へ戻る
「三河の山里だより」メインページへ戻る